top of page

​鋳造用木型とは…

鋳物は、金属を溶かして鋳型に流し入れて製品を作ります。こうして鋳物を作ることを鋳造といい、その鋳型(砂型)を作るための模型(原型)を鋳造用木型といいます。

同じ形の製品を複数作るためには「型」を使いますが、その「型」は、製品を作る数によって材料を変えて作ることが一般的です。

発泡スチロール型<木型・樹脂型<金型といったように、より多くの製品を作るには、強度の高い材料を用いて型を作ります。木型はちょうど中間といったところですが、ほかに、金型製作の前段階としての重要な役割も果たします。

鋳造用木型の製作は、非常に複雑な作業が多く、技術力と想像力が要求されます。専門的な技術と長年培った職人の経験を活かし、寸法精度の厳しい様々な形状を作り出しているのです。

​木型工とは…

木材を使って、伐ったり、削ったり、貼ったり、組んだりと基本的な技術は大工さんとおおむね一緒ですが、木型を作るには大きく違うところがあります。それは、製作に使用する図面はあくまで製品の図面であり、木型はその図面どおりには作ることができないという点です。例えば、砂型から木型を抜くために形を割ったり抜け勾配を付けたりします。また、交差と言われる寸法精度の厳しいところに加工代(製品を削って調整するための余白部分)を付けたり、中子を外型の中にきちんと挿げるためのガイドとなる巾木を付け加えるなど、製品図面の形や寸法に様々な工夫を行って製作します。

木型工には、鋳造製品がきちんとできるように鋳造先と方案を考えながら、製品図面には描かれていない形を加えて製作するという専門的で特殊な技術が必要なのです。

​川口と木型

川口鋳物の発祥については諸説あるようですが、江戸時代にはすでに日用品鋳物の産地として知られていました。

荒川や芝川などの河川に堆積する砂や粘土が鋳型製作に適していたことに加え、大消費地である江戸に近く、舟運を利用できたことが発展の理由といわれています。
その鋳物業を支え、共に発展してきた川口の木型製造業は、明治の中頃、機械部品鋳物が生産されるようになると共に本格的に広まったようです。
その後、軍需景気によって鋳物の需要が大幅に増え、昭和初期には川口市内の木型業者も急激に増加しました。その多くは小規模で家内工業的であったようです。

当方もこの頃、昭和12年に創業して現在に至ります。

bottom of page